大宮 樹の自己紹介 3.発達障害を持って社会へ出る
1社目に入社した電設工具メーカーM社は、主に電気工事士が使用する工具やケーブルなどの消耗品が中心です。しかし、私が取得した資格のなかに電気通信工事に使用する工具や消耗品も扱っていたからです。当時その会社の常務は、健常者のパートで物流倉庫作業で当面の間お世話になることになっていましたが、本来は私の能力を生かした部署を検討していました。でも先ほど書きました4パターンのうち、面接時は、医者から言われたただけでそのまま生きて、発達障害だと知ってても自分から言ったのは常務だけでした。
しかし後々ミス多かったり、周りの人とうまくいかなかったりし、周りの人は不満を持つようになり、全員に発達障害を伝えなければならなくなりました。少々周りの人は合理的な配慮はしてくれましたが、承知しない人(特に私がミスしたと偽わせた人たち)もいました。そこで私はハローワークや障害者職業センターに相談しました。そして、常務は検討していた私の能力を生かした部署と現在の業務について知らせがありました。結果私は、今後の社員たちの付き合いのなかで、承知しない人間(特に私がミスしたと偽わせた人たち)に対して常務に相談したかったのですが、過去に甘い理由として聞いてくれなかったことがあり、退職を決めました。つまり、最初に障害を全員に伝えないのは、絶対にやめたほうがいいとわかりました。障害は隠すことができないからです。
2社目以降、最初から障害を全員に伝えることにしました。
2社目は、中古車販売店H社の洗車業務でした。もちろん畑違いの職場でしたが、障がい者求人だったことと、コミュニケーションを取るのをやめたことを理由で応募しました。
※障害者雇用には、当事者の障害特性に応じ、対し企業側は合理的な配慮をその人に提案し、相互の雇用を契約し定着を図るものをいう。
H社では、私より先に障害者雇用で入っていた人は知的障害者で、正しい間違っているでこだわっていることから、自己管理ができない人間のため、自分は良くても相手をしんどくさせるような人でした。これは僕だけじゃなく先輩たちも腹立たしい気持ちでした。でも、僕らは好きなことをしている仕事だったのと、責任というプロの正しさに一致性があったので、その人を完全に気にしていませんでした。
しかし私は仕事中怪我したために、通院の費用を会社が面倒を見ないといけない義務を果たしていなかったため、退職を決めました。もしH社の問題があるとすれば、営業ノルマの課し方が一方的なのと代表取締役が完璧主義だったことでしょう。またそのH社は、営業ノルマに関してブラック企業噂どおりでしたが、労基が怖いせいか社員の通院費用の面倒さえも見れないH社は、退職して正解だったと思っています。
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