大宮 樹の自己紹介 2.発達障害の障害認定が下りるまでの経緯

  1. 目次
  2. 01.発達障害の公言と傾向 02.発達障害の障害認定が下りるまでの経緯 03.発達障害を持って社会へ出る 04.当事者が当事者のための活動 05.発達障害者の自助グループ 06.奈良県で活動する発達凸凹居場所の調査研究の始まり
 冒頭に書きましたとおり、私は2012年にPDD(広汎性発達障害)現在ASD(自閉症スぺストラム)の診断を受けるまでの経緯がありました。当時私は、両親から障害に関してのことを知りませんでした。

 私が生まれてれから幼児検査が、3年間病院で行われました。主に赤ちゃんの健康状態を総合的に確認する制度です。

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幼児の法定健診 りたりこジュニアHPからコピー

 1歳半検診と3歳児検診があり、「母子保健法」という法律が市区町村に実施を義務付けている「法定検診」があります。なお、法定健診のほかにも、市区町村が様々な時期の赤ちゃんを対象として、独自に健診を行っている場合があります。対象時期は市区町村により異なります。赤ちゃんや子どもに対しておこなわれる健診は、法定健診と自治体が独自におこなう健診をあわせて「乳幼児健診」と呼ばれています。

1歳半健診の目的

 1歳半に達する時期には、運動機能が発達してひとり歩きができるようになったり、言葉を盛んに話すようになったり、感情表現もできるようになったりと、心身の発達がより著しく現れてきます。

 このため、1歳半より前の健診では赤ちゃんの体の様子の確認が主な目的であるのに対し、1歳半健診では、赤ちゃんの体と心の両方の発達の様子を確認することが目的とされています。

 またこの時期には、脳性麻痺や精神遅滞、ASD(自閉スペクトラム症)などの発達障害やてんかん、視覚や聴覚の異常などが発見されやすいとされています。このため、これらの疾患や異常を早期に発見し、適切な治療や支援につなげることも1歳半検診の大切な目的です。

 さらに、1歳半健診に限らず乳幼児健診のもう一つの大切な目的は、赤ちゃんの様子や生活習慣などについて、保護者の方が気になっていることに対して助言や情報提供をおこなうことです。

 乳幼児健診では、医師や保健師、栄養士などが保護者の方の育児相談に応じてくれます。

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 私の両親から聞いたのは、私は1歳半検診(1歳6ヶ月児健康診査)で、言葉が通常の1歳半よりうまくしゃべるのが遅れていたことから、知的障害を伴わない自閉症と診断されました。しかし、先ほど書きましたとおり当時は、「知的能力と知的発達により適応行動に困難があって、かつこだわり強い精神の遅れがある症状が18歳になるまでつづき、その後回復する」ため、障害認定を受けることができなかったのです。そのため両親は、私と同年齢で会話できるように試みをしていました。

 また、1歳半検診の結果を保健所にて相談したところ、相談員は発達障害と言われたため、小学校から中学校まで市立学校での障害児学級を併せて授業を受け、公立高校では全日制で卒業するところまでたどり着くことができました。しかし、国語授業は特に文章読解で小学1年生から赤点が続いていたため、他教科の赤点も当たり前でしたが、両親からは体を動かすことには同級生と付いていけていたと聞いています。

 おまけに、私は仲のいい同級生は少なく、小学校から高校まで学年では私の事はあまり好かれていなかったそうで、好きな異性と付き合いたくても揶揄われて付き合うことができませんでした。しまいにはちょっかいかけられたことで、私はよく怒ったり、よく喧嘩したりしていました。それは、自分の下靴がよく消えていたり、正当な理由なく自分を鬼にしたりして、親がそれを先生に報告したことで、ちょっかいを起こした生徒を教育的指導の他、全校生徒や親にも指導がなされました。

 高校卒業の後就職を決めていましたが、模擬面接で先生や同級生からは異常と思われ、専門学校の進学へ変えました。大阪コンピューター専門学校に入学した私は、将来システムエンジニアの仕事を考えていたため、国家資格から民間資格まで自分の者にするために奮闘しましたが、どうしても文章読解に悩まされ、必要な資格は半数しか取れませんでした。ただ、資格取得の奮闘と取得の多さから、卒業に伴い大阪府知事から受賞されたことがあります。そして、高校まで経験しなった学生生活を専門学校で同級生と楽しむこともできました。

 本来であれば、留年になってなければならかった私が一度も留年なく続いたため、学校の先生たちには頭が下がりません。でも、資格を取るだけで会社の面接が通過しない要因は取れていませんでした。私は20歳前に、大阪府にある職業カウンセリングセンター(現在のOSAKAしごとフィールド)や障害者職業センターで行われた職業適性検査により、要因となったものが判明するのです。発達障害でした。そこで両親からの真実が明かされたのです。

01. 発達障害の公言と傾向 自己紹介 03. 発達障害を持って社会へ出る