大宮 樹の自己紹介 05.発達障害者の自助グループ
まず自助グループとは、同じ問題を抱える人やその人を大切に思う家族らが自主的に集まり、似たような立場や経験を持つの多くの仲間と出会い、交流しつつ、助け合える場所です。グループメンバーと体験談、想い、情報、知識などをわかちあうことで、気づき、癒し、希望や問題解決へのヒントなどを得る人が多くいます。
依存症対策全国センターWebページより
自助グループのご紹介
自助となると堅苦しく勉強というワードが周りから思われることは、私も認識していました。しかし新型コロナが拡大していくと、飲食店や娯楽施設では不特定多数の接触で感染する可能性があったため、自分が感染するということは会社や学校の人たちにうつすことになり、仕事や学業を止めることになります。けれども私が言っていた、福利厚生や社会福祉の基である民主主義が、社会主義で独裁者が居座わるようになった時点で、立ち直すことができなくなるから、止めるわけにはいかなかったのです。
最終的に、飲食が制限され、換気、人と人の間隔を確保できる場所として選定したのが公民館しかなく、さらにそこには利用するにあたって利用した人の名簿の提出義務がありました。これなら、誰かが感染した場合、利用した人たちに迅速に連絡が行けるので、濃厚接触になった人たちが、他の人にうつすのを可能な限り防ぐことができるです。
そして奈良県では発達凸凹の自助グループが当時3件しかなく、県外愚か県内でさえ広まっていないながらも、私の熱意に惹かれた人たちの協力により、発達障害の当事者の自助グループ(HWOL 障碍を持つすべての人の会)の企画を2年半の間、開催することができたのです。
結局、人数は徐々に少なくなりましたし、さらに私は「障害を持っている人と持っていない人が共に暮らせる社会を創らなければならない」と啓発運動をしながら会社にも訴え続けましたが、改善されず、私は正当な訴えをしているのにそれが実現されないことに苛立(いらだ)ち始め、威圧的になり偏見を持って物事を批判し、人を見下すようになりました。
次回のエピソードで記載しますが、心の中では会社を辞めたいと思うようになり、仕事中では上司のプレッシャーにより、私の人差し指の皮を鋸鎌で負傷したことで、過呼吸とトラウマが起きるようになり、PTSD 心的外傷後ストレス症(自己診断)の可能性があることに気づきました。半年休職後復帰を望んでいましたが、その会社は以前のままで、退職を決意しました。
私はこの活動時コロナの拡大が終息を拒ましていたものの、金額の問題ではないと判断していました。だが当時私が活動していたグループのメンバーは、何をしたいのわからない。人に対する偏見と上から目線で話している。文章の接続詞が成り立っていないという、第三者からの結果でした。この事から私は会から少し離れたところから見たり、私に助言をして下さった方々がいたりしたおかげで気づきました。また、奈良県で発達凸凹の自助グループが県外愚か県内でさえ広まっていないことに関して、代表が独自で調査したところ、チラシやポスターという限定的な箇所での掲載の他、インターネット利用による脆弱性から運用に難していることもありました。結果、代表は発達障害の当事者の自助グループの企画を終了するとともに私は代表を辞任した後、メンバーによって解散を決めました。
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